2014年5月8日木曜日

軽んじられる生命

 毎日のように事件や事故がマスコミによって報道されます。事件や事故の容疑者や当事者は、就業態度や生活状況、家族関係、友人関係、生い立ちまで暴かれ、それらを引き起こした原因が「人格形成」の過程にあるとして個人的責任を徹底して追及されます。このような時に「社会に問題があるのでは」などというと、必ず「なんでも社会のせいにするから、個人の責任を放棄する人たちが増える。責任回避だ」と罵倒する声が聞こえます。
 もちろん、私たちが社会的動物である以上、社会の最低限のルールさえ守れないというのは人として大きな問題があると思います。しかし、それらの問題を引き起こす背景については同じように糾弾されなければなりません。
 先日、ある看護助手から労働相談がありました。看護助手として雇用されて間もないが、研修を受けることもなく、現場で仕事を任され、知らないうちに医療行為をしていた。そのことを看護師に摘発され懲戒されそうだ、というのです。これは犯罪です。しかし、責任は犯罪を犯した個人よりもそういう状態を放置している国や病院にあります。切羽詰まった病院では、いつ医療ミスが起きてもおかしくない状況が続いています。「犯罪者が出るのは時間の問題」と言って辞める看護師も少なくありません。
 セウォル号事件が起きて、最初に避難した乗組員全員が逮捕されました。最近、ようやく会社の実態が暴かれ始め、代表も逮捕されました。船が過積載の状態にあり沈没の可能性があることを知っていたら、あなたならどうしますか?もし、乗客の生命を大切にする人たちなら、まず、そのことを内部告発するのではないでしょうか?それができない人たちには乗客の生命を最優先するという選択肢は最初からないのです。
 JTBの社員はなぜ自殺する狂言までしてその場をしのごうとしたのでしょうか?「ミスを犯すような働かされ方だった」などという言い訳を世間が許してくれないからです。マスコミは、中国で犯罪や事件が起きると「背景には格差問題がある」と体制の問題にしますが、日本ではあくまで個人の責任にされるのです。利益を最優先する社会では、やはり、人の生命は二の次なのでしょうか。

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