2014年8月12日火曜日

8・6 8・9が終わって

 そろそろ盆休みに入る人もいらっしゃると思います。毎年、盆休み前のこの行事の期間中は様々なことを考えさせられます。テレビやラジオで企画制作された特集番組はそれなりの意図をもって放送されているのでしょうが、それよりもむしろ、朝早くから慰霊碑の前で手を合わせる人たちの一言には心を締め付けられる思いがします。人々は「平和」を語るわけではありません。被害を恨むわけでもありません。原爆の悲惨さを訴え、「戦争」を後悔し、自らを懺悔しているように見えます。
 私たちは、よく「平和を守る」といいます。「平和を守る」ことと「平和を享受できる」ことは違います。「戦争のない平和な社会」を守らなければ、「平和を享受できる社会」は来ないと思います。 この社会には平和でありながら平和を享受できない人たちがなんと多いことでしょう。だから、慰霊碑の前に訪れる人たちは「平和な今を守る」とは言わないのだと思います。
 一生懸命頑張っても将来の展望が見えない多くの若者たちが、決して恵まれてはいないが、そこそこ生活ができている中間層の人たちを「既得権益にしがみつく寄生虫」と非難し、中国や朝鮮の人たちを「日本を滅ぼす敵」とみなす、その追い込まれた心情には胸を痛める思いがします。それはこの社会には「守る」ものがないということであり、行きつく先は「破壊」だからです。でも、少なくとも私の周りには、苦しいけど自分の置かれている職場や環境をなんとか変えようと踏ん張っている人たちが何人もいます。その人たちの踏ん張りの向こうに「展望」が見えるといいですね。