2014年10月14日火曜日

余暇の使い方

 今、世の中では、過労死防止に向けて長時間労働が取りざたされています。労働者保護規制を緩和するにあたって、国民的反感を回避するためには、まずは、眼前の疑念を取り払っておこうという下心が見え見えですが、お茶を濁す程度にしても、長時間労働が話題になることそのものはいいことだと思います。
 今、正規職員にとっての長時間労働は、もちろん、成果主義や能力主義の名の下で、使用者側によって強制されているものです。このような働かされ方が蔓延している中で、私たち労働者は、余った時間の使い方が分からなくなっているのではないでしょうか?
 休みが取れたらあなたは何をしますか? 「とりあえず、寝る。身体を休める」くらいでしょうか?だから、それ以上の余暇が欲しいとはなかなか考えません。それが今現在の要求だからです。
 もし、毎日、定時に帰ることができるようになり、有給休暇も十分に使えるようになったら、あなたは何をしますか? こんなことを考えることが必要だと思います。仕事以外にやりたいことがたくさんある人は、たくさんの時間が欲しいと思うのではないでしょうか?そういう人は時間の使い方が上手なのだと思います。ただし、余暇を楽しむためにはお金がかかります。生活ぎりぎりの賃金では「余った時間」を「楽しむ」ことなど到底できません。長時間労働からの解放は、低賃金からの解放と表裏一体です。
 そのためには、有期雇用や派遣労働、パート労働にもっと雇用における厳しい規制をかける必要があります。まず、基本時給は、正規職員より高くすること、有期雇用については期間を定めなければならない特別な事情があるときに限定すること、派遣労働については特別な能力を必要とする専門職に限定することなどです。
 このような基盤を作ることで初めて労働者は、使用者の意思ではなく、自らの意思で「働き方」を選ぶことができるようになるのではないでしょうか。

2014年10月3日金曜日

ないものねだり

 秋の風が爽やかな季節が来ました。毎朝、家を出るとき、庭の金木犀から何とも言えない香りが漂います。単に「いいにおい」ではなく、脳をくすぐるような「いいにおい」、一瞬懐かしく心地よい感覚にとらわれます。その香りは、私にとっては、おそらく、子どもの頃の秋のおもいでの香りなのだと思います。それは、ある特別な出来事の思い出ではなく、子供のころに体験した秋という季節のおもいでだろうと思います。毎年、秋には家族みんなで登る近くの里山で、香りを頼りにシメジを探し、見つけた時のうれしさ、その時に食べるささやかな弁当のおいしさ。小さな庭に七輪を出してさんまを焼く母の姿。たくさん飛んでいるのに振り回しても網に入らない赤とんぼ。心待ちにしていた運動会。秋の遠足。なぜか楽しかったことだけが「秋の香り」に閉じ込められています。
 だから、人は、「あの頃に戻りたい」とか「昔はよかった」というのでしょうね。でも、その時代の毎日の生活は決して楽しいだけではなかったと思います。むしろ、苦しかったのではないでしょうか?
朝から晩まで働いても食べることで精一杯、それは今と同じです。だけど、周りの人たちがほとんど同じ境遇だったので、その「苦労」は「我慢」できた。むしろ、情報伝達の手段が少なかったから、人々の「みんな同じ」という意識は「時の政府」や「財界」によってある程度作られていたということでしょうね。
 科学や技術の発展によって生産力が増大することは人々にとって決して悪いことではありません。人類全体の富は増大し、生存率は高まるからです。自然を理解し、自然を利用することなくして人類の発展はないと思います。社会のしくみが変われば、科学や生産力、そして富は、人々の手に戻ってきます。昔より今のほうが私たちが社会を変えることによって手に入れるものははるかに大きいのではないでしょうか。