2014年5月22日木曜日

貧困の問題について

 アベノミクスが日本中を闊歩する中で、「貧困」について語られることがずいぶん少なくなったように思われます。実際は、日本経済が一時的に好転しているといいながら非正規労働者は確実に増えています。
 貧困を語るとき、皆さんは、ホームレスや生活保護受給者の方を思い浮かべがちだと思いますが、貧困は決して、いわゆる生活弱者の問題ではないと思います。貧困率は、ちょうど所得が真ん中の世帯の人たちの半分以下の所得の世帯がどれだけいるかではかられ、日本は、16%弱です。貧困率はアメリカが17%とダントツで、日本は2番目です。つまり、日本は、相対的な貧困大国なのです。日本では7人にひとりが貧困です。だから、貧困の問題とは「格差」の問題だと思います。
 格差で第1に問題にしなければならないのは、もちろん賃金・労働条件です。全く同じ仕事をしながら、雇用形態が違うというだけで差別され続ける非正規労働者の実態には目を覆うものがあります。そして、今一つ問題にしなければならないのは社会保障です。私たちが生み出した富を再分配する仕組みが社会保障です。
 集団的自衛権行使の報道が過熱する中で(もちろん大変重要な問題ですが)介護・医療に関する法改正が衆議院の厚生労働委員会で強制採決されました。要支援1、2について、均一のサービスを廃止し、その運用を自治体にゆだねるということです。財政基盤の脆弱な自治体ではいったいどうなるのでしょう。高齢者の介護保険利用料が一定の年収があれば、2割に増えます。特定養護老人ホームへの入所条件が厳格化されます。
 これから、社会保障はますます削減されていく方向になると思います。その中で、孤独死や高齢者自殺も増えていくことが懸念されます。「一方における富の集積と他方における貧困の増大」その仕組みを何とかしたいものです

2014年5月8日木曜日

軽んじられる生命

 毎日のように事件や事故がマスコミによって報道されます。事件や事故の容疑者や当事者は、就業態度や生活状況、家族関係、友人関係、生い立ちまで暴かれ、それらを引き起こした原因が「人格形成」の過程にあるとして個人的責任を徹底して追及されます。このような時に「社会に問題があるのでは」などというと、必ず「なんでも社会のせいにするから、個人の責任を放棄する人たちが増える。責任回避だ」と罵倒する声が聞こえます。
 もちろん、私たちが社会的動物である以上、社会の最低限のルールさえ守れないというのは人として大きな問題があると思います。しかし、それらの問題を引き起こす背景については同じように糾弾されなければなりません。
 先日、ある看護助手から労働相談がありました。看護助手として雇用されて間もないが、研修を受けることもなく、現場で仕事を任され、知らないうちに医療行為をしていた。そのことを看護師に摘発され懲戒されそうだ、というのです。これは犯罪です。しかし、責任は犯罪を犯した個人よりもそういう状態を放置している国や病院にあります。切羽詰まった病院では、いつ医療ミスが起きてもおかしくない状況が続いています。「犯罪者が出るのは時間の問題」と言って辞める看護師も少なくありません。
 セウォル号事件が起きて、最初に避難した乗組員全員が逮捕されました。最近、ようやく会社の実態が暴かれ始め、代表も逮捕されました。船が過積載の状態にあり沈没の可能性があることを知っていたら、あなたならどうしますか?もし、乗客の生命を大切にする人たちなら、まず、そのことを内部告発するのではないでしょうか?それができない人たちには乗客の生命を最優先するという選択肢は最初からないのです。
 JTBの社員はなぜ自殺する狂言までしてその場をしのごうとしたのでしょうか?「ミスを犯すような働かされ方だった」などという言い訳を世間が許してくれないからです。マスコミは、中国で犯罪や事件が起きると「背景には格差問題がある」と体制の問題にしますが、日本ではあくまで個人の責任にされるのです。利益を最優先する社会では、やはり、人の生命は二の次なのでしょうか。

2014年5月1日木曜日

集団的自衛権で安倍首相は何を守るのか?

 政府の有識者懇談会は、他国と連携することで「国の安全」を守れることがあるとして、必要最小限度の自衛権のなかに集団的自衛権を含めないのは適切ではないとする見解を報告書に盛り込む方針を固めました。集団的自衛権については、賛成、反対それぞれの立場の方々からコメントが寄せられていますが、少し違った角度から議論に参加してみたいと思います。
 賛成派の皆さんは、よく「国を守る」ということを「家族や故郷を守る」ということ の延長線上に於いて自衛隊を語ります。まるで、反対派の人たちを「日本や日本人を守ろうとしない非国民」と言わんばかりの勢いです。
 しかし、安倍首相や自民党が守ろうとしている国家とは、私たちの家族やふるさとのことなのでしょうか?今、働く人たちや高齢者、障がい者の実態を見ていると昔読んだエンゲルスの「家族、私有財産及び国家の起源」の次のような一節を思い出します。



「国家は階級対立を抑制しておく必要から生まれたものであるから、だが同時に、これらの 階級の衝突の只中で生まれたものであるから、それは、通例、最も勢力のある、経済的に支配する階級の国家である。この階級は、国家を手段として政治的にも 支配する階級となり、こうして、被抑圧階級を抑圧し搾取するための新しい手段を獲得する。例えば、古代国家は、何よりも先ず奴隷を抑圧するための奴隷所有 者の国家であった。同じように、封建国家は農奴的農民と隷農を抑圧するための貴族の機関であったし、近代の代議制国家は、資本が賃労働を搾取するための道 具である」
 2013年4月、バングラディッシュの首都ダッカ近郊で8階建てのビルが倒壊し、ビル内で働いていた労働者1127人が死亡する事故が発生しました。そのビルでは欧米の有名ブランドの既製服を製造する縫製工場が入居していました。命を軽視した工場建設や防火設備の不備が指摘されましたが、問題はその背景にある巨大企業の支配構造です。
 ブランド会社は自社工場を持たず、こうした国の製造業者と契約し、デザインから材料、納入価格、数量などを指定します。製造業者は品質や納期を指定通りに守らなければ切り捨てられ労働者は路頭に迷うことになります。ブランド会社は何か問題、例えば、事故や労働争議が起これば、さっさと撤退します。日本のブランド会社も全世界で同じようなことをしています。まさに、現地の労働者の犠牲のもとに最大限利潤を追求しているのです。だから、インドや中国で日系企業に対する争議が起こるのです。これが、産業のグローバル化ということです。安倍首相やオバマ大統領が守ろうとしているのは、国民の命や国民の権利ではなくこのような企業の権益を守るための秩序ではないでしょうか?労働者に国境はありません。