2014年10月3日金曜日

ないものねだり

 秋の風が爽やかな季節が来ました。毎朝、家を出るとき、庭の金木犀から何とも言えない香りが漂います。単に「いいにおい」ではなく、脳をくすぐるような「いいにおい」、一瞬懐かしく心地よい感覚にとらわれます。その香りは、私にとっては、おそらく、子どもの頃の秋のおもいでの香りなのだと思います。それは、ある特別な出来事の思い出ではなく、子供のころに体験した秋という季節のおもいでだろうと思います。毎年、秋には家族みんなで登る近くの里山で、香りを頼りにシメジを探し、見つけた時のうれしさ、その時に食べるささやかな弁当のおいしさ。小さな庭に七輪を出してさんまを焼く母の姿。たくさん飛んでいるのに振り回しても網に入らない赤とんぼ。心待ちにしていた運動会。秋の遠足。なぜか楽しかったことだけが「秋の香り」に閉じ込められています。
 だから、人は、「あの頃に戻りたい」とか「昔はよかった」というのでしょうね。でも、その時代の毎日の生活は決して楽しいだけではなかったと思います。むしろ、苦しかったのではないでしょうか?
朝から晩まで働いても食べることで精一杯、それは今と同じです。だけど、周りの人たちがほとんど同じ境遇だったので、その「苦労」は「我慢」できた。むしろ、情報伝達の手段が少なかったから、人々の「みんな同じ」という意識は「時の政府」や「財界」によってある程度作られていたということでしょうね。
 科学や技術の発展によって生産力が増大することは人々にとって決して悪いことではありません。人類全体の富は増大し、生存率は高まるからです。自然を理解し、自然を利用することなくして人類の発展はないと思います。社会のしくみが変われば、科学や生産力、そして富は、人々の手に戻ってきます。昔より今のほうが私たちが社会を変えることによって手に入れるものははるかに大きいのではないでしょうか。

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